幕間7

安武 陸
ワンダー・トリップ・ラヴァーを倒した数日後。
安武 陸
陸はハンターの知人から連絡を受けて、モンスターの元に向かっていた。
安武 陸
が、到着した時には、既に事は終わった後。
安武 陸
怪我人もそういない。お疲れ様です、なんて軽く挨拶だけして帰ろうかと思う。
安武 陸
そうしてハンター達を見回して、見知った顔を見つけた。
安武 陸
「……あれ、叶恵ちゃんだ」
赤木 叶恵
笑顔を張り付けて、モンスターの肉片を回収していた。
赤木 叶恵
視線へと気付く。
安武 陸
あの日から、叶恵はずっとそうだ。
赤木 叶恵
「あ、安武だ!」
安武 陸
笑顔が、ずっと。
安武 陸
「……お疲れ様」
赤木 叶恵
「ん。そっちは今来たとこ?」
安武 陸
以前なら信じられないくらいの明るい声に、どう対応したものか迷う。
安武 陸
「そう、ちょうど終わったみたいだけど」
赤木 叶恵
「遅すぎ」
安武 陸
「いや~、こちらにいたハンターの皆さんが優秀だったみたいでぇ」
安武 陸
叶恵が抱える肉片に視線を落とす。
安武 陸
「……ちなみに、今から飯とかお茶とか誘っても大丈夫?」
赤木 叶恵
「へ?」
赤木 叶恵
自分と相手を交互に指さす。
赤木 叶恵
あたしと、
赤木 叶恵
お前で?
安武 陸
「……なんか変?」
赤木 叶恵
「いいよ。遅刻してきた奴の驕りね」
安武 陸
「さっすがに高校生にワリカンとは言わないよ」
赤木 叶恵
「よし!」
安武 陸
普通に、話せている。
安武 陸
むしろ以前よりも愛想がいいくらいだ。
安武 陸
長袖の下の腕を、なんとなく想像しながら、移動する。
安武 陸
向かったのは、さんくちゅあり傘下の小さなカフェ。
安武 陸
「……最近、野菜とか食べてる?」
安武 陸
叶恵が一人暮らしを始めたのは知っている。
赤木 叶恵
「やさい……」
赤木 叶恵
「栄養とかの話? あんまり意識してなかった。 若いし別に」
安武 陸
「若くても野菜は食べたほうがいいって。 すみません、サラダも追加で」
赤木 叶恵
「じゃ、くれるんなら貰っとこ」
赤木 叶恵
「心配しすぎだと思うけどな。特に体壊してないし」
安武 陸
「壊しはしないだろうけど……」
安武 陸
「……にきびとかできたりしてない?」
安武 陸
便秘とか、と思ったが、言わないでおいた。
赤木 叶恵
「出来てないけど。聞くなそんな事」
安武 陸
「ごめんごめん」
赤木 叶恵
「人のこと心配してるけど、安武こそ規則正しい生活してんの?」
安武 陸
「どうかな」
安武 陸
コーヒーが提供される。 少し悩んで、ミルクを入れた。
安武 陸
「あんまり寝れてないけど、前からだしなぁ」
赤木 叶恵
「だめじゃん。ちゃんとしなよ」
赤木 叶恵
コーヒーへとミルクを入れる。一つ開けて全て注ぐ。
安武 陸
しばし、言葉に迷う。
赤木 叶恵
冷めるのを待たずに一気に口の中へ。
安武 陸
淹れたてのコーヒーを見下ろす。
安武 陸
叶恵が特別猫舌だという話は、別に聞いていないが。
安武 陸
一気に飲んだなぁ、なんて思う。
安武 陸
話したいことや、聞きたいことはある。
しかし、その全ての問いが意味のないものかもしれない。
安武 陸
「……一応、聞いとかないと気持ち悪いから、聞くけど」
安武 陸
「あの絵本って、俺の家に置いたままでいいやつ?」
赤木 叶恵
「え? あー……」
赤木 叶恵
「いいんじゃない? こっちはそっちと違って色々残ってるし。だいたいアレ、海野さんのじゃん」
安武 陸
「……そっか」
安武 陸
こっちはそっちと違って色々残っている。
安武 陸
その言い方に、どうしても気が沈む。
安武 陸
それをあっけらかんと言い放つ、叶恵にも。
赤木 叶恵
「やだな、そんなこと気にしてたの?」
赤木 叶恵
「こっちも心配してるんだよ。安武が最近元気なさそうだから」
安武 陸
「…………」
安武 陸
叶恵の顔を見る。
安武 陸
「俺は、別に……いや、俺より……」
安武 陸
そう言いはするが、言葉は続かない。
安武 陸
そのまま、手元のコーヒーカップに視線を落とした。
赤木 叶恵
「ほら、なんか暗い」
安武 陸
「……そりゃ、そうだよ」
安武 陸
「そうだろ」
赤木 叶恵
「……まあ、そうだね」
赤木 叶恵
「参っちゃうな。暗いと暗いでしんみりするし、かといって明るく振舞っても周りに微妙な顔されるし」
安武 陸
「……はは、それは、そうかも」
安武 陸
「……毒を使うハンターにさ、あの薬のこと、聞いたりした」
赤木 叶恵
「なんて言われた?」
安武 陸
「一秒でも長くマトモでいたかったら、手を出さないほうがいいって」
安武 陸
「逆なら、おすすめだって」
赤木 叶恵
「……」
赤木 叶恵
「まともって、何だろうね」
安武 陸
「なんだろうなぁ」
安武 陸
言いながら、天井を見上げる。
安武 陸
「まともでいれば、長生きできるってわけでもないもんな」
安武 陸
「頭がおかしくて強~いハンターになれるなら、全然まともじゃなくていいかもしれない」
赤木 叶恵
「安武は、そう思う?」
安武 陸
「思うよ」
安武 陸
「まともなまま死ぬくらいなら、そうじゃなくていい」
赤木 叶恵
「でも、まともなまま長生きできたら、そっちの方がいい?」
安武 陸
「はは、そりゃそうだけど」
安武 陸
「……でも、まともでいられるかどうかってさ、もう、運じゃん」
赤木 叶恵
「まあね」
安武 陸
「今どうなってるか、ってことしかわかんないよ」
赤木 叶恵
「これを手放したとして、あたし、まともになれるのかなあ」
赤木 叶恵
そう言ってコートの内ポケットを探るような仕草をして、そういえば汚れていたから入り口で預けたんだったな、と思い出す。
赤木 叶恵
少し気恥ずかしそうに宙を舞う手を引っ込めた。
安武 陸
その様子に、一応は笑ってみせる。
安武 陸
「……叶恵ちゃんは、まともなまま長生きできたら、そっちの方がいい?」
赤木 叶恵
「え、別にどうでもいい」
安武 陸
「どうでもいいかぁ」
赤木 叶恵
「今更じゃん、今更」
赤木 叶恵
「そういうのに期待、したくないし」
安武 陸
「あー……、まぁ、期待してもってのはあるなぁ」
赤木 叶恵
「まあでも……」
赤木 叶恵
「安武とかには、あんまり壊れて欲しくない気持ちはあるな」
安武 陸
「都合いいなぁ」
安武 陸
「わかるけどさ」
赤木 叶恵
「でしょ」
安武 陸
「なんかこう、もっと前向きで熱血なこと言ったほうがいいのかもしれないけど」
安武 陸
「全部わかるからなぁ……」
安武 陸
「たまにさ、思うんだ」
安武 陸
「俺達って、このままずっと自分を擦り減らして生きて、その途中で死ぬだけなんだろうなって」
赤木 叶恵
「……」
赤木 叶恵
「たぶん、そうなるよね」
安武 陸
「うん」
安武 陸
「もう、あんまり、生きててよかったとか、幸せとか思う機会ない気するし」
安武 陸
「そう思ったりしたら、それはそれで嫌だ」
赤木 叶恵
「なくすの、やだもんね」
安武 陸
「うん……」
赤木 叶恵
「そういう手から零れるのが嫌でさ、まあ頑張ってみたりするわけじゃん」
安武 陸
「うん」
赤木 叶恵
「で、一応それなりに成果も出たりする」
安武 陸
「うん……」
赤木 叶恵
「だけどある日、どうしようもない感じの奴に遭遇してさ」
赤木 叶恵
「あ、意味なかったかー、って気付いちゃう」
安武 陸
「…………」
安武 陸
「意味なかったってことはないよ、とは」
安武 陸
「ちょっと俺からは言えないなぁ」
赤木 叶恵
「言われたくないよ、それは」
安武 陸
「言われなくないかぁ」
赤木 叶恵
「だって居ないじゃん、ってなるでしょ」
安武 陸
「…………」
安武 陸
「居ない、なぁ」
赤木 叶恵
「居ないんだよねえ……」
安武 陸
「事実がなぁ、あるからなぁ」
赤木 叶恵
「いない同士で話すと愚痴会になっちゃうね」
安武 陸
「たしかに」
安武 陸
「まぁでも……、修也くんだって、灰葉陽を失ってるし、光葉ちゃんも、お兄さんはまだ起きない」
安武 陸
「性格の問題もあるかも」
赤木 叶恵
「狩人続ける理由の根っこの部分にしてたのが良くなかったかなあ」
安武 陸
「……そうだったんだ」
安武 陸
「いや、まぁ、そうか」
赤木 叶恵
「うん」
赤木 叶恵
「とか言って、今も続けてるんだけどね」
赤木 叶恵
「惰性って感じ」
安武 陸
「…………」
安武 陸
「俺は、叶恵ちゃんがハンターを続けてくれてるの嬉しいよ」
安武 陸
「自分に得があるから、だけどさ」
赤木 叶恵
「そうなの?」
赤木 叶恵
「ああ。そりゃそっか」
赤木 叶恵
「しょうがないから守ってやろう」
安武 陸
「……うん」
安武 陸
「ありがとう……」
赤木 叶恵
「どういたしまして!」
安武 陸
それに、叶恵ちゃんに死んで欲しくはないから。
安武 陸
なんて言ったら、負担になるだろうか。
赤木 叶恵
頼られるようなことを言われて、ますます上機嫌な様子で食を進める。
赤木 叶恵
会話をしながら、それなりに皿も減っている。食欲が失せているということも特になく。
赤木 叶恵
傍目には、幸せそうな少女の姿にも見えるかもしれない。
安武 陸
「この前、俺のことを信じていいのかって聞いたじゃん」
安武 陸
「……俺は、叶恵ちゃんのこと信じてるよ」
赤木 叶恵
「……」
赤木 叶恵
「信じるって、何を?」
安武 陸
「なんだろうな」
安武 陸
少し考えて、コーヒーを一口。
安武 陸
「叶恵ちゃんが選んだことなら、受け入れるし、拒絶しない」
安武 陸
「……みたいな?」
赤木 叶恵
「…………」
安武 陸
「信じるとはちょっと違うかな」
赤木 叶恵
「ん、でも伝わった」
赤木 叶恵
「あたしもそうする。安武を信じるし受け入れる」
赤木 叶恵
「仲間!」
安武 陸
「……ん」
安武 陸
「仲間、だな」
赤木 叶恵
「……安武」
赤木 叶恵
「ハンター……やめないよね」
安武 陸
「やめられないよ」
安武 陸
「師匠に皆を頼むって言われたし」
安武 陸
「残念ながら……、まだ、死にたくない」
赤木 叶恵
「じゃあ、あたし置いてどっか行ったりしない?」
赤木 叶恵
「勝手に死んだりとかもしない?」
安武 陸
叶恵を見る。
赤木 叶恵
手が震えている。
赤木 叶恵
「こっ……、コート……」
赤木 叶恵
店員を呼んで、服を渡してもらう。
安武 陸
店内は、空調が効いて暖かい。
赤木 叶恵
薬を出して、飲む。
赤木 叶恵
「……はあ」
赤木 叶恵
「……ダメになってるね、確かに」
安武 陸
叶恵の、震えていた手を見る。
赤木 叶恵
もう手は震えていない。
安武 陸
薬の副作用で手が震えていたのか、精神的な理由で手が震えていたのか。
安武 陸
どちらか分からない。 薬を飲んで、震えが止まったという事実だけがある。
安武 陸
「叶恵ちゃんは、どう?」
安武 陸
「勝手に死んだりとか」
安武 陸
「どっか行ったりとか」
安武 陸
「しないって、言える?」
赤木 叶恵
「わかんない。今はまだ」
赤木 叶恵
「これ」
赤木 叶恵
「止めたら、そうなりそうで」
安武 陸
「……薬について、詳しくないけど」
安武 陸
「慣れて効かなくなったりとか、あるんじゃないの」
赤木 叶恵
「わかんない。今のところ用量は増えてない気がする……けど」
赤木 叶恵
「長く使うとどうなるかとかは、ちょっとね」
安武 陸
小さく、ため息。
長く使った例なんて、探しても見つからないだろう、と思う。
赤木 叶恵
「今死ぬよりはいいでしょ?」
安武 陸
「……うん」
安武 陸
否定は、できない。
赤木 叶恵
「心配なら、また会って話してよ」
安武 陸
「……うん」
安武 陸
「おごるから、野菜食ってよ」
赤木 叶恵
「……そーする」
赤木 叶恵
「安武、ごめんね。ありがとう」
安武 陸
「謝るなよ」
安武 陸
うつむいて。
安武 陸
さっきまで震えていた手を取る。
安武 陸
「お礼を言うのは、こっちだよ」
安武 陸
「ごめん……、ありがとう」
安武 陸
手を握る。 不安をどうにか和らげるように。
それが自分の不安か、相手の不安かは分からないけれど。
赤木 叶恵
「……よくわかんないけど」
赤木 叶恵
「安武の何か役に立ってたんならよかった」
赤木 叶恵
「頼れ」
安武 陸
「うん」
安武 陸
軽く鼻を啜る。
安武 陸
「頼らせて頂きます」
赤木 叶恵
「ん。嬉しい」
赤木 叶恵
普段言わないような言葉が零れたな、と自分で気付く。
赤木 叶恵
薬ゆえの上機嫌か、それとも頼られて本当に嬉しかったか。
赤木 叶恵
まあいいか。別に否定する必要もない。
赤木 叶恵
勢いでも、言えない事が言えたなら良い事だ。
安武 陸
頼りにしているから、どこにも行かないで、とは言えない。
安武 陸
勝手に死なないで、なんて言えない。
安武 陸
今ここにいない人達だって、どこかに行く気も、勝手に死ぬ気も、きっと、なかった。
安武 陸
でも、今、いない人がいる。
安武 陸
事実だけが横たわっている。