幕間6

GM
2020年 秋頃
安武 陸
ベッドが4つ並んだ部屋に、怪我人が4人並んでいる。
安武 陸
そのうちの一人は、ぼんやりと外を見ていた。
安武 陸
全員、同日に運び込まれてきている。
安武 陸
他の患者達は、引き締まった逞しい体つきをしている。
陸にも、おそらくは全員ハンターだろうと予想できた。
安武 陸
向かいのベッドの男が、兄弟らしき相手と話し込んでいる。
安武 陸
謝罪とか、感謝とか、生きててよかったとか、そういう話。
安武 陸
薄い疎外感。
安武 陸
自分以外は、皆そういう現実離れした世界で生きている狩人なのだ。
安武 陸
いや、自分以外は、なんて言っていいのかわからない。
安武 陸
ぼんやりと、直前の狩りを思い出す。
安武 陸
海野標に連れられた、二回目の狩り。
安武 陸
一回目は、何がなんだか分からないうちに終わった。
大怪我もせず、役に立てた気もせず、守られて終わった。
安武 陸
そして、二回目。
安武 陸
標にある程度稽古を付けてもらった。トレーニングもそれなりにやった。
安武 陸
前よりは、少しくらい、戦えるはずだと思った。
安武 陸
包帯の巻かれた腕と、ギプスが覆う足を見る。
安武 陸
自分の努力は、関係なかった。 敵が強いか、弱いかだけ。
そう思わされた。
安武 陸
そう、強かった。
安武 陸
標にとっては、そうではないかもしれない。
ただ単に、自分がモンスターと向き合ったから分かっただけかもしれない。
安武 陸
でも、前より強いと思ったし、怖いと思った。
安武 陸
──人が。
安武 陸
関係のない、ただそこにいただけの人が、殺されたのを見た。
安武 陸
夜道を歩いていただけの人。 少し前の自分と全く変わらないような人。
安武 陸
何が起きたかわからないといった顔で、死だけを理解して、血に溺れていった。
安武 陸
自分は本当に弱いが。
安武 陸
何が起きたか分からないまま、では、なくなることができる。
安武 陸
たとえ結果が同じでも、少しでも何かが違うなら、戻ることはできない。
安武 陸
息を吐いて、窓の外を見た。
安武 陸
銀杏がゆたかに黄色い葉を茂らせていた。
海野標
「よ」
海野標
窓を見ているうちに、声がかかる。
海野標
カーテン越し。
海野標
薄色の向こうに、立つ人の姿を見る。
海野標
「起きてるか?」
安武 陸
「あ……、海野さん」
安武 陸
カーテンを開ける。
海野標
非日常の象徴がそこに立っている。
安武 陸
「…………」
安武 陸
「お見舞い来てくれたんすか!?」
海野標
「困るだろ、色々」
海野標
勝手に椅子を出して腰掛けた。
安武 陸
「困るけど……」
海野標
膝に置いた鞄のチャックを開けている。
海野標
「とりあえず、要りそうなもん一式」
安武 陸
鞄の中身をまじまじと見る。
海野標
「鞄も安物だから別にいい。要らなくなったら捨てろ」
安武 陸
「えっ……」
海野標
下着類、ブランケット、タオル、歯ブラシに紙コップ、充電器。
その他諸々、入院に必要な雑貨。どれも新品だがタグなどは外されている。
安武 陸
「怖…………………」
海野標
がさがさとそれらを示しながら。
海野標
「人の親切をよくもまあ……」
海野標
「要らないなら持って帰るけど。他の人にも回せるし」
安武 陸
「いやっ、ありがたいです。 ありがたいですけどぉ」
海野標
「それでよろしい」
海野標
ベッドの隣に置いた。
安武 陸
「あの……、その、こんなしてもらえると思ってなかったので……」
安武 陸
「なんか……乞食してたら急に家をプレゼントされた気分というか……」
安武 陸
「なんで? が先に出てきてしまうというか……」
海野標
「……まあ」
海野標
「一応、師匠だし」
安武 陸
「……師匠」
海野標
言葉を選ぶように、やや歯切れ悪く。
海野標
「意外と元気そうで良かったよ」
安武 陸
「……そうか、海野さんって、俺の師匠にあたるのか」
海野標
「嫌なら別にいいぞ、返上しても」
安武 陸
「あっ、いや返上しませんしません!! お師匠様!!ありがとうございます!!」
海野標
「急に崇め奉られるのもなんだかなー……」
海野標
「結構マジで言ってんだぜ」
安武 陸
師匠って入院した時にこんな世話焼いてくれるものなのかな……と思ったりもするが、伝統芸能とかの師弟って実質親子みたいな感じだったりするらしいからな……と納得している。
海野標
「ろくでもないだろ。こっち側」
安武 陸
「…………」
安武 陸
「予想はしていたんですが」
安武 陸
「思っていたよりも、はい」
安武 陸
「ろくでもないですね」
海野標
「ハンター側に死者が出なかっただけマシだよ。今回は」
海野標
「死ぬときゃ死ぬ。武器があっても」
安武 陸
「…………」
安武 陸
同室にいる、怪我を負ったハンター達を思う。
安武 陸
1人は一緒に戦っていたハンターだ。 頼りがいがありそうに見えた。
海野標
目の間に座る標よりも年嵩で、上背があって、体格が良かった。
海野標
経験も彼の方がありそうに見えた。見た目上は。
安武 陸
絆創膏一つない、標の顔を見る。
海野標
当たり前のように怪我一つない。陸を庇うように戦っていたというのに。
海野標
「別に、やめろってワケじゃねえけどさ」
海野標
「戦ったからって生き残れるとは限らないからな。前線出てるぶん危ねえし」
海野標
「完全に一般人やるのが嫌なら、支援側に回る道もなくはない」
海野標
「助けてもらえる可能性、ちょっとは上がるだろ」
安武 陸
支援側、それは少しだけ魅力的に聞こえた。
安武 陸
「……ちょっとって、どれくらいっすか」
海野標
「……明確に統計取ってるわけじゃないからな……」
海野標
「一般人よりは相当マシだと思うけど。周囲にハンターいるわけだし」
安武 陸
「そっか」
安武 陸
「まぁ、ハンターの知り合いもできるでしょうしね……」
安武 陸
「……でも、守ってもらうしか、できないんですよね」
海野標
「まあ、武器がないなら、そうなる」
安武 陸
「それは、怖いなぁ……」
安武 陸
死を思う時、いつも、あの溜め池を思い出す。
安武 陸
弟が溺れて死んだ、溜め池。 死をたたえた水。
安武 陸
弟が死んだのは、自分が力のない子供だったからだ。
安武 陸
だから、皆仕方がないと言った。 だから、誰も責めなかった。
安武 陸
「……お師匠様って、もしかして、かなり強い人なんすか?」
安武 陸
「なんか……前回も、今回もすごかったし……」
海野標
「様はやめろ様は」
海野標
「……まあ上澄みっつっていいんじゃねえの。自分で言うのもなんだけど」
安武 陸
「自分で言った……」
海野標
「謙遜しても仕方ねえし」
安武 陸
「まぁ、それはそうか」
海野標
「ここで大したことないですよー、とか」
海野標
「言われてもそれはそれだろ」
安武 陸
「まぁ……」
安武 陸
「言われたら今すぐ強い人紹介して下さいってなりますね」
海野標
「俺より上かー……」
海野標
さも難しいな……とでも言わんばかりの声音。
安武 陸
すごい自信だ……
安武 陸
とはいえ、事実、比類なき力を見せつけられた。
安武 陸
自信過剰でもなんでもなく、事実を言っているのだろうと思える。
安武 陸
「……上澄みって、どうやったらなれますか?」
海野標
「え?」
海野標
瞬き。
海野標
陸を見てから、少し考え込む。
海野標
「……どーだろな」
海野標
「俺、特別だし」
海野標
これまたあっけらかんと言う。
安武 陸
「え~……、どう特別なんですか……。 半吸血鬼ってやつ?」
海野標
「まあ、そこがな」
海野標
「お前とは違うし」
海野標
「人間だろ、お前」
安武 陸
「違いますが……」
安武 陸
闇病院の闇医者が太鼓判を押すほどの人間ですが……。
海野標
「武器だって持ち歩かないと戦えないワケだし」
安武 陸
なんか何もないとこから出してたなぁ……
海野標
「割とずっと強いからな、俺」
海野標
「いまいちわからん。基礎は教えてやれるけど」
海野標
「基礎っつーか基本っつーか……」
安武 陸
「つまり……、天才タイプだから初心者を教えるのはわかんないってコト……!?」
安武 陸
「そっか……」
海野標
「なんつーか」
海野標
「一般論とか基本とか理屈とか、そういうのは教えられるけど……」
海野標
考え込んでいる……
海野標
「そこからどれだけ跳ねるかは、割と素養次第っつーか……」
安武 陸
「いっぱい頑張っても結局才能がものを言う世界……と……」
海野標
「あとは、まあ」
海野標
「運」
安武 陸
「運かぁ……」
海野標
「っていうか運だな」
安武 陸
「なんか……こっち側に来た時点で、運って……ってなりますが……」
海野標
「こっち側に来る前に死ぬよりは?」
安武 陸
「んん~~~~」
安武 陸
「なんか……植木鉢が落ちてきたけど頭にぶつからなくてラッキー、みたいな欺瞞を感じます」
海野標
「ラッキーじゃんそれ」
安武 陸
「落ちてこないんすよ普通は……」
海野標
「でもまあ、落ちてくる世界だからなあ」
安武 陸
「そおですね……」
海野標
残念ながら、と相槌を打って膝を組む。
海野標
「まあ、才能の話するなら」
海野標
「お前、多分自分が思ってるより悪くないよ」
安武 陸
膝を抱えて丸まりたい気持ちがあるが、吊られたギプスのせいでそれもできない。
安武 陸
「……ええ? なんで……?」
海野標
「体格いいし。腕力ある」
海野標
「危機管理意識が高い」
安武 陸
「体格が関係なくて腕力が規格外の人にそんなこと言われてもなぁ」
海野標
「日本人平均で考えてみろ」
海野標
「断然恵まれてる方だろ」
安武 陸
「それはまぁ、スポーツとかで考えればそうですけど」
安武 陸
小中学生のように見えるハンターも見かけた。
海野標
モンスターは襲う相手を選んではくれない。
海野標
女子供でもお構いなしに。
安武 陸
体格のいいハンターの腕が、無惨に引き裂かれるのも見た。
安武 陸
頭では、体格が悪いよりはマシだと思えるが、悪くないという言葉に納得できるほどにはならない。
安武 陸
「……運、運かぁ」
海野標
「俺と知り合えた時点で運はいいしな」
安武 陸
「ああ、まぁ……、それは、そうですね」
安武 陸
ようやく、標の顔をちゃんと見る。
海野標
目が合う。青い瞳と。
安武 陸
「……そっか、そうだな」
安武 陸
「俺、運がめちゃめちゃいい気がしてきました!」
海野標
「そりゃあ何より」
海野標
「幸運を噛み締めろー。そんで感謝しろ俺に」
安武 陸
「ははぁ~、ありがとうございます、ありがとうございます。 なんまんだぶ、なんまんだぶ」
安武 陸
拝む。
安武 陸
「毎日神社行こうかなと思ってたけど、やっぱ毎日お師匠様を拝むことにします」
海野標
「それは気味悪いからやめろ」
安武 陸
軽く笑って、また標の顔を見る。
安武 陸
「…………」
安武 陸
「あの、一つ聞いてもいいですか」
海野標
「何?」
安武 陸
標が持ってきた鞄と、その中身に視線を落とす。
安武 陸
「なんで、こんなに面倒見てくれるのかなって」
安武 陸
「俺、マジでそのへんで襲われてただけの奴だし、誰か適当な人に押し付けたりできただろうし、なんでこんなにしてもらえるのかわかんなくて」
海野標
「…………」
海野標
息をつく。
安武 陸
「師匠って言っても、それこそ鍛えるだけやれば十分じゃないですか」
安武 陸
「……それとも、誰にでもこうなんですか?」
海野標
「ま、余裕あるしな」
海野標
「できる親切はしてるよ。できる範囲で」
海野標
できる範囲でだけど、と繰り返して念を押す。
海野標
「……あとは、まあ」
海野標
「…………」
安武 陸
青い瞳を見る。
海野標
「俺もまあ、色々世話見てもらったことあったし」
海野標
「そんくらい」
安武 陸
「……そっすか」
安武 陸
「偉いですね、お師匠様は」
海野標
「そのお師匠様ってのやめろ」
海野標
「かなり煽りっぽいぞ」
安武 陸
「えー……、そうかな……? お師様、師匠、マスター、先生、老師……どれがいいです?」
安武 陸
「老師いいですね」
海野標
「変なキャラ付けしてくんな」
海野標
「中国とかのなんかだろそれ」
安武 陸
「高校生に俺みたいなのが老師って呼んでたら、只者じゃない感出るじゃないですかぁ」
安武 陸
「正体は老人っぽい」
海野標
「術が解けたら老人に戻るみたいなやつ?」
安武 陸
「そうそう」
安武 陸
「あっ、もしや本当に……?」
海野標
「違うけど……」
海野標
「逆にどうすんだよ、そうだったら」
安武 陸
「え……すごいから嬉しいですけど……」
海野標
「ご期待に添えませんでもうしわけない」
安武 陸
「実はの展開期待しておきます」
安武 陸
「……もう一個だけ、いいですか」
海野標
「多いな、質問」
安武 陸
「多くていいなら、スケジュール帳とか持ってきて好きな子とか書いてもらいますけど……」
海野標
「興味もねえこと書かせんな」
安武 陸
「別に興味なくはないですが……」
安武 陸
「今日はこれで最後です」
海野標
「そ」
海野標
「何?」
安武 陸
「多分」
安武 陸
「人が死ぬとこ、たくさん見てきましたよね」
安武 陸
「慣れますか?」
海野標
「…………」
海野標
「俺は」
海野標
「慣れた」
安武 陸
「…………」
安武 陸
「そっか」
海野標
「人によるよ。個人差」
海野標
「……慣れない方が、人間としてはいい」
安武 陸
「ハンターとしては?」
海野標
「……それもまあ、個人差だろうが……」
海野標
「俺は、慣れる方にした」
安武 陸
自分の体を覆う包帯や、ギプスを見る。
安武 陸
この人は、俺が死んでも、何も思わないのだろうか。
安武 陸
そうなのかもしれない。 そういうことにしたのかもしれない。
安武 陸
それが薄情だとは思わない。情に棹をさして流されていては死んでしまう。
安武 陸
しかし、そうやって擦り切れることを寂しいと思う気持ちはあって。
安武 陸
それと同時に、人が死ぬところを見ても、もう笑って冗談が言える自分もいる。
海野標
人間は順応する生き物だ。
海野標
どうしても。どうあがいても。
海野標
与えられた環境に、やがては適応する。
海野標
或いは。
海野標
その前に死ぬ。
安武 陸
「慣れない方が人間としてはよくて、師匠は慣れることにしたのかぁ」
安武 陸
「難しいですね」
海野標
「ま、そもそも人間じゃねえしな」
海野標
言葉の綾を冗談めいて。
安武 陸
「そういえばそうだった」
安武 陸
ずるいなぁ、とぼやいて。
安武 陸
医師が部屋に訪れる。診察の時間。
海野標
察して腰を上げる。
安武 陸
「……色々持ってきてくれて、ありがとうございます。助かります」
海野標
「大切に使えよー」
安武 陸
お金とかどうしたらいいかな、と考えながら、曖昧にうなずく。
どちらにせよ、今は手元に現金がない。退院してからになるだろう。
海野標
パイプ椅子を片付けながら、ふと思い立ったように陸を振り返る。
海野標
「そういえば、もう一個あった」
海野標
「お前がハンターに向いてる理由」
安武 陸
「え、なんすか?」
海野標
「死にたくないんだろ」
海野標
「お前」
安武 陸
「……はい」
海野標
「大事だよ、そういうの」
海野標
「……忘れがちだからな。こういう世界にいると」
安武 陸
「そりゃあ、生きたハンターだけがいいハンターだ、みたいな判断基準ならそうかもしれませんけど……」
安武 陸
「命を引き換えにしてでも何かを守る人も、いいハンターじゃないんですか」
安武 陸
「……いや、ハンターがどうとかって話じゃないな、これ」
安武 陸
「俺が好きな人間の話かも」
海野標
「俺は」
海野標
「命を引換券みたいに使うのも、そういう風に生きる人間のことも」
海野標
「あんま見たいとは思わねえな」
海野標
言い残して、背を向けた。
海野標
医師に会釈をして、部屋を出ていく。
安武 陸
標の言うことに反論はないけれど。
安武 陸
生のために、何もかもを犠牲にすることがいいとは思わない。
安武 陸
自分がそういう人間だから、なおさらそう思う。
GM
標に何度も庇われた。一回の狩りで。数え切れないほど。
GM
標が歴戦だったからから彼は傷一つなく済んだが、そうでなかったら。
安武 陸
強くなれば。
安武 陸
あんなふうに、なれるのだろうか。
安武 陸
そう考えて、ふ、と笑う。
安武 陸
それはそうだ。 海野標は、己の師。
安武 陸
強くなれば、一歩でも、半歩でも、それより小さいかもしれないけど。
安武 陸
少しくらいは、きっと近づける。