幕間1
敷村 修也
目を覚ますと目の前に知らない天井が広がっているなんて小説のなかだけの話だと思っていた。
というのが昨日の感想だった。
敷村 修也
この天井は入院している病院の天井で、父さんと母さんも入院している。
昨日聞いた話では二人とも自分より先に退院できるらしい。
敷村 修也
明日か明後日には一般面会もできるようになると聞いている。
が、それだけだ。
狩人関係のつてがある病院なんだろうということがわかるくらいだ。
迷ノ宮 光葉
そんな修也の病室にコンコン、とノックの音。「修也様、迷ノ宮です。入ってよろしいでしょうか?」
敷村 修也
とりあえず着せられている入院着を整え姿勢を正す。
迷ノ宮 光葉
「失礼します」そう断って病室の扉を開けて入ってくる。身なりは控えめな、清楚なもの。手にアレンジメントの小さな花束を持っている。
迷ノ宮 光葉
「突然のお見舞い、失礼しますね。お加減はいかがですか?」
敷村 修也
「あー……、まぁ昨日起きたばかりなんで、まだちょっと慣れないですけど。ありがとうございます」
敷村 修也
「……いや、正直なところ体はともかく頭が全然追いついてません」
迷ノ宮 光葉
「そう、ですよね……。ごめんなさい、もう少し時間を置くべきだったかしら」
迷ノ宮 光葉
「とりあえず、お見舞いのお花、よければ飾らせてくださいませ」
敷村 修也
「もちろん。お願いします。何もないまま入院しちゃったんで2日目なのに部屋に飽きてきちゃってたので」
迷ノ宮 光葉
黄色や白などの数種の花がアレンジされた明るい花束をベッド脇のテーブルに飾る。
迷ノ宮 光葉
「退屈でしたでしょうか、でしたら何か…本や雑誌などもお持ちすればよかったかしら……。他にもいり様なものがあれば、遠慮なく仰ってください」
迷ノ宮 光葉
「ご両親には先程、ご挨拶とお見舞いをしてまいりました。先に退院なさるそうで、良かったです」
敷村 修也
「ああ、いやそんな、そこまで気を遣わせるわけには……。はい、そう聞いてます。………」
敷村 修也
「あの、改めて。両親のこと助けてくれてありがとうございました」
迷ノ宮 光葉
「いえ、改めてお礼を言われるようなことは、何も。わたくしも、あのときは無我夢中でしたから、本当にお二人がご無事で安心しました」
迷ノ宮 光葉
「修也様も、ご無事にお帰ししたかったのですが……そこまでの力はなくて……、申し訳ありません」
敷村 修也
「……そんなことは、ないです。俺はあの時動けませんでしたし、魔女との戦いの時も最後の方はほとんど覚えてないですし」
敷村 修也
「だから、迷ノ宮さんがそんなこと言わないで、ください。迷ノ宮さんも、安武さんも赤木さんも、素人の俺に協力してくださって、その……本当に助かりました」
敷村 修也
「命が助かったことも、両親が死なずに済んだことも」
敷村 修也
「あの、そういえば……俺も迷ノ宮さんもここにいる、ってことは魔女は……倒せたん、ですよね?」
敷村 修也
最後に覚えているのは頭に大きな衝撃と痛みを感じたことまでだ。
そしてその時には、魔女はまだ元気にわめいていた。
迷ノ宮 光葉
「そうでしたね……、修也様は最後の顛末を見届けていらっしゃらなかった。ええ、魔女は退治されました。最後は、海野様と陸様の手で」
迷ノ宮 光葉
簡単に最後の結末を相手に伝える。辛くも魔女を退けた、という内容。
敷村 修也
「そうでしたか……やっぱりかなり危ないところだったんですね」
迷ノ宮 光葉
「ええ、最後のひと押しがなければ、たぶんわたくしたちは、生きてはいないでしょう」
敷村 修也
「海野と安武さんにも、お礼を言っておかないといけませんね」
迷ノ宮 光葉
「はい、退院されましたら是非に。お二人も心配していらっしゃいましたから」
敷村 修也
「ふふふ……安武さんはそんな気がします。迷ノ宮さんは怪我とか大丈夫なんですか?安武さんや赤木さんも」
迷ノ宮 光葉
「はい、わたくしも陸様も叶恵様も、怪我はありましたが修也様よりひどくはありませんでした。修也様が、一番重傷でしたから……だから、こうして意識を取り戻されてほっとしました」
敷村 修也
「……ええ、俺も生きててよかったと思います」
迷ノ宮 光葉
「……あの日まで、狩人のことも、魔女のことも、知らなかった修也様が、一番の重傷を負っていらしたのが、わたくしにはとても申し訳なくて、」
迷ノ宮 光葉
「八角宗家の、迷ノ宮家のものとして、もっとしっかりお守りしなければいけなかったのですが……」
迷ノ宮 光葉
「……いえ、これはわたくしの問題。修也様にお聞かせすることでも、ありませんでした」
敷村 修也
迷ノ宮光葉の口から紡がれる言葉は、狩人という生き方がどれほど違う世界にあるのかを感じさせるのに充分だった。
敷村 修也
自分とおそらく同い年の女子には似つかわしくない、マンガやドラマでしか聞かないような強い責任感を伴う自省の言葉。
敷村 修也
それだけ化生、化物との戦いの暮らしが今までの生活と根本的に異なるのだと実感させた。
敷村 修也
「あー……いや、そのなんて言ったらいいか……」
迷ノ宮 光葉
「すみません、困らせてしまいましたね。…………今は、修也様の快復を喜ぶべきでした」
敷村 修也
「そんな、俺も迷ノ宮さんを困らせるつもりはなくて。ただ、同い年なのに狩人としての責任感があるなって……」
迷ノ宮 光葉
「……そう、でしょうか?わたくしは、生まれついて家がそういうものでしたから…」
迷ノ宮 光葉
「その、ごめんなさい。修也様のような普通の感覚が、あまりわたくしにないせいかもしれません」
敷村 修也
否定することは難しかった。
あの日まで知ることも会うこともなかった世界の感覚を、すぐに受け入れることは難しい。
敷村 修也
「ええ、でも謝らないでください。今度は俺が狩人としてのそういう感覚を……身につけないといけませんから」
迷ノ宮 光葉
迷ノ宮光葉は兄によって狩人の世界から遠ざけられていた。とはいえ、生まれがすでに狩人として生きていくような家柄だったからか、生活のすべての所作や考えはすでに、狩人として訓練されている。
迷ノ宮 光葉
そして……今度は知ってしまった修也がその世界を学ぼうと、身につけようとしている。あまり、素直に喜ぶべきではないと思う。
迷ノ宮 光葉
だが、心のどこかに、味方が増えたことを喜ぶ気持ちもあったのは否定できない。
迷ノ宮 光葉
「……修也様が、お覚悟の上で身につけようと思われるのでしたら、私から何かを申すのは違いますね……」
迷ノ宮 光葉
「わかりました、謝りはしません。けれど……、せっかく掴んだ日常です。しばらくは考えることや整理したい気持ちなどもおありでしょう」
迷ノ宮 光葉
「どうか焦らず、大事になさってくださいませ」
敷村 修也
「……ありがとうございます。多分、一般面会ができるようになったら騒がしくなると思いますから、ゆっくり体を治します」
迷ノ宮 光葉
「では、あまり長話をしてはまたお体に障りましょう。この辺りで失礼いたしますね、また何かあれば遠慮なく連絡してくださいませ」
敷村 修也
「ええ、ありがとうございます。また何か、頼らせてもらうかもしれません」
迷ノ宮 光葉
では、と頭を軽く下げ部屋から退室する。扉を閉めたのち、すこしだけ心配そうな面持ちになったが、頭を振って、去っていった。
敷村 修也
再び1人になった病室に静けさが戻る。
殺風景な部屋に飾られた明るいアレンジメントが無性に生きて帰ってきたことを実感させた。
敷村 修也
今までの世界での暮らしと、これからの世界の暮らし。