-DAY18-


エイニがディドと話をしたらしい
ディドはすごく怒ってる
いつも怒ってるけど

エイニを殺すとか言ってる
協力しろと言われた

エイニは何を言ったんだ?



☆ ★ ☆



 エイニがディドに話した内容そのものは想像に容易かったが、その何がディドをああも憤慨させたのかはクロニカには分からなかった。
 自分の意思でないことを他人に強いられたからだろうか。
 ディドは自ら選ぶということを強く重視しているというのがクロニカの認識だった。雇用関係を切る切らないの話をした時も、クロニカが血を求める事情を言うか言わないかの話題の時も、ディドの根源はそう在った。
 自分の中に残っている、誰のものとも知れぬ言い付けを守りながら、多くは求めず日を生きるクロニカとの会話は当然ながら噛み合わない。クロニカの言葉はいつもディドを苛つかせた。
 もともと朗らかな人格の持ち主ではないが、常に渋面を作っているのは自分の言動に依るところも大きいのだろうとそろそろクロニカは察しつつあった。

 だがそのクロニカでもディドをあそこまで激昂させたことはない。
 殺す、と言った。ディドは。エイニを殺す。
 その言葉は怒り任せのそれであるようにも思えたが、さりとて頭が冷めて気が変わった、となるほど軽いものであるとも考え難かった。
 実際、ディドは準備をすると言って一人で宿を出て行ってしまった。探索も今日はお互い個人でだ。
 空になった隣のベッドを眺めて、そろそろ自分も出立せねばならぬかとぼんやり考える。
 おかしな敵に遭遇しなければよいが。魔力で吹き飛ばせない相手はクロニカの手に余る。持久戦は苦手なのだ。



 殺すのか、と問うたクロニカに、それが確実だろう。ディドはそう答えた。

「後腐れがない」

 海に潜っていたのはエイニに突き落とされてのことだったのだろう。クロニカがやった真逆をやられたわけだ。
 濡れた髪を布で拭きながら、ディドの言葉は相変わらず簡潔で短い。

「次の追い手が来たらそこでまた殺せばいい」
「え、えーと……殺さなきゃダメか?」
「なぜ?」

 心底から訝しがるような顔をされて逆に言葉に詰まる。

「……えーと……。……生きてるんだし……」
「面倒なことだ」

 吐き捨てるような言い方をしたディドに、あれはどういう生き物だなどと問われるがクロニカがそれを知る筈もなかった。ニールネイルは混血の一族で、同族とは言え全く異なる特徴を持った者たちの集まりで、里を出て久しいクロニカに思い当たるものがあるはずもなく。
 それでも何か出てこないかと首を捻りかけたところで、あ、と思い当たる。数日前にエイニに会った時、そのことを日記に記した筈だった。同族のことは忘れやすいから書いてあるはずだ、そう思って自分の荷から日記帳を探し当てる。
 よれよれの装丁を開いて、二日前。

「……とりあえず、逃げたから追いかけてきてる……?」
「それは知っている」

 思ったよりも新情報がなかった。

「連れて帰るつもりだろう」
「うん。……あ、あと、狩人は、そういう役目だから」

 そういう役目。狩人。追跡能力が高く、腕に覚えのある者たち。これは日記にあったからではなく、クロニカ個人が覚えていることだ。
 ニールネイルがどういう一族であるか。その在り方。仕組み。しきたり。そういった知識はまだクロニカの中からは抜け落ちていない。
 覚えられないのは、個人のことだ。

「だから、だいたい戦えるやつが選ばれて……戦えるやつは、そういう風に生まれてることが多いから……」

 だから、エイニは強い筈。
 そう繰り返そうとして、途中で疑問に舌が止まる。

「どうした」
「なんで逃げたんだ?」
「…………」

 ディドからのいらえはない。
 当事者であっても分からないのならクロニカが今更分かる筈もない。
 諦めて日記帳を閉じた。自分の脳に頼る。二日前のことだ。流石にまだ残っている。自分が逃げたときのことも思い出せる。

「……この前はスキルストーン、持ってなかったみたいだけど」
「テリメインでならスキルストーンはいくらでも手に入る。次は海の中で戦うことになるか」

 あくまで戦う気だ。ディドは。
 こんなにも積極的な雇い主は初めて見たかもしれない。金を稼ぐためにテリメインを訪れた、そう言いながら、然程には欲深さを見せずにいた。
 その点を問えば、

「邪魔をされるのはごめんなんだよ」

 唸るような返答が戻った。

「邪魔」
「そうだ。目障りだ」

 考え込む。どうやらディドは相当にエイニに憎悪の念を向けているし、エイニを排除したいと願っているし、その為に手段を選ぶつもりはなさそうだった。
 金を稼ぐと言いながら海賊行為を働くことはしてこなかったから、そういった他人を害す行為は嫌っているように思ったのだがそうでもなかったのか。
 違うか。相手を見て言っているのだ。
 無差別に人を襲うことは好まずとも、殺すべきと定めた相手ならば、殺してもいいと思っているのか。

「……ディドの言い分はわかっ……うーん……分かったことにするけど」

 とはいえ一応エイニはニールネイルの者で、クロニカの身内で、しかも割とクロニカの身勝手ゆえにここまで来る羽目になったといった気配もあり。
 分かった、と断言するのはなかなか心情的には難しく。

「……殺すのかぁ」

 殺すというのも、やはり、どうにも。

「付きまとわられたいか」
「それはやだけど……」
「応援を呼ばれても面倒だ」
「それもそう、だけど……」

 完全に丸め込まれる流れである。相手が雇い主だから仕方ないと言えば仕方ない。基本的にはディドが優位である。
 しかも問題を持ち込んだのはクロニカの側だ。
 それにしたって随分とぐいぐい来る。

 ――クロニカがエイニのことを、追手が掛かっていることをディドに話さなかったのは、話を整理するのが面倒というのもあったが――それが言い訳に過ぎなかったから、という面もあった。
 つまり、里に連れ戻されるのが嫌で、ディドとの雇用契約の話を持ち出したのだ。これがあるから帰れない、と。
 だが、クロニカはディドとの契約関係が強固なものではないことを知っている。お互いの、或いは片方の意思で容易く縁も契約も切れてしまうことを知っているし、それを悲観するつもりもなかった。
 ディドの側もそうだろう。クロニカはディドにとっては便利な戦力に過ぎない。安く雇える。血を与えるのは嫌だがその点に目を瞑っても構わない程度には使いやすい。その程度のものだろう。
 だから、つまり、要するに、

「えーと……意外?」
「意外?」
「連れ去られても関係ないみたいな感じかと……」

 ディドは、クロニカが問題を抱えていると分かれば、その場で契約関係を切ってしまうだろうと思っていたのだ。
 エイニは何か対価を示したことだろう。それがディドの意に添うものであるかは分からないが、クロニカが提供できる以上のものは恐らく用意できたのではないだろうか。狩人にはある程度の自活能力、調達能力が求められる。それは即ち目標へと確実に辿り着き、連れ戻すための能力だ。
 だから、意外なのだ。ディドがエイニの話を蹴って、クロニカとの雇用関係を選んだことが。

 そうして欲しかったのか。ディドに問われて、クロニカは首を傾げた。

「……そうじゃない方がいいけど、殺すのは、なんか」

 なんか、というより、

「……ていうかできる気しないし……」
「それはどういう意味でだ」
「え、狩人だいたい強いし。強いからそういう役目なわけだし」

 エイニはなにせ上背があった。クロニカが全力で押してもびくともしなかった。鍛え上げられた身体をしているのだろう、身体能力も恐らく自分たちとは比べ物にならない。
 獣人の類はただでさえ高い俊敏性を備えていることが多かった気がする。あれは犬や狼の類か、であれば鼻もきくしなんなら聴覚も鋭い。

「……あの体が一瞬動かなくなったような力か」
「そんなのあったのか。……まあ、総合的にだいたい、結構強い」

 それは初耳だが。クロニカに対しては使われなかった。使うまでもなかったのか。すぐ腕掴まれたしな。
 どちらにせよ運動能力に加えてそういった力まで持ち合わせているとなるとさらに難敵だ。敵に回してどうにかなる気がしない。
 さてはてどうしたものか。というか。

「……なんで逃げたんだ?」
「…………」

 やはりディドからのいらえはなく。

「……とりあえず、俺が言えるのはそんな感じで……そんな感じなので、えーと……うーん……」

 殺すとは言えないけど。言えないけどそれ以上もそろそろ止める説得力がないことを認めざるを得ない。
 ディドの言うとおり、クロニカも帰りたくはないのだ。連れ戻されたくない。殺したくもない。我儘を言っても通らないということか。
 煮え切らない口調で日記をしまうクロニカには、

「やり方は考える」
「……そうか」

 そういう問題じゃなくて、などとは最早言えよう筈もなかった。



「まあ、じゃあ、それはそれとして」
「…………」
「そろそろ血が欲しいので、えーと、ください」
「…………」

 ――一瞬だけナイフの切っ先を向けられたような気がするが、恐らく気のせいだろう。