-DAY6-


拾ったもの
きらきらと光るなにか
チラシ 食べものや住む場所 住む場所は欲しいかもしれない 食べものもできれば
結婚がどうとか あとビッグなリリックとやら



☆ ★ ☆



 何を言っているか分からないというのが正直なところだった。
 いつもの仮宿だ。さらに探索を進めていくなら、また新たな拠点か、もしくは金のかからない場所を探した方がいいかもしれない、などと呑気に考えていた矢先のこと。
 与えられると無邪気に信じていたものが取り上げられる。考えたくもなかったが現実は目の前に立ちはだかる。

「そういう契約に、なっていたはずだと思うけど」
「……契約は契約だ。よほどのことがない限りは覆す気はない」

 であれば何が問題なのか。契約通り、クロニカの求めるままに、血を与えてくれれば良いのでは。
 今更どうして誰何するというのか。

「だが、俺が、貴様が血を欲しがる理由を知ってはならないという契約ではない」

 クロニカが血を求める理由など知ってどうするというのか。
 知ったところで、何が変わるというのか。

「……生きるのに必要だから」
「足らない」
「……そういう体質だから……」
「その理由では足らない」

 ディドは貪欲だった。クロニカが血を求めるのと同じくらい、むしろそれ以上に。
 与えられずにいることが、知らずにいることが、その生命を擦り減らすというのでもなかろうに。

 飢えは常に付いて回った。
 血は、それを誤魔化すために必要だった。
 満たされるのに程遠くとも、あの赤くて昏い色をした液体が、クロニカには必要だった。



「……貴様は言ったな。《生きるのに必要だ》《だが血ではなくてもいい》《体質が変わった》」

 言った、記憶はある。
 そもそもクロニカが血を摂るようになったのも故郷を出てからのことだ。そうするように言われた。
 故郷にいた頃は、血を飲むことはしなかった。
 その頃には、体質に関して意識することすらなかった。
 満たされていたから、必要がなかった。

「……血じゃなかったのは、血じゃなくてよかったからだけど……今は、血で補うのが、一番自然で、負担が少ない。……お互いに……」

 お互いに。自分で言いながら、疑問に思って首を傾げる。
 どうだろう。血は、生温くて、変な味がして、喉に絡んで、胃に重く落ちる。これだけ気持ちの悪い思いをして、渇望が僅かに満たされるだけだ。本当に自分にとって負担が少ないと言えるだろうか。今となっては治せるとはいえ、相手にとっても怪我をさせなければならないのに。
 言い付けを破ってしまえば、多少どころではなく楽にはなるだろう。一番欲しいものが、本来の適切な形でなくとも得られる。
 ――こうして詰問されることが、なくなるとは分からないが。



 ディドはいつになく饒舌だった。
 言葉を尽くして、クロニカという存在を追及する構えだ。

「俺は貴様のような生き物を郷里では見たことがない」

 そうだろうと思う。
 ニールネイルは同族を持たぬ一族だ。同じ血を継ぐこと、幾つかの共通した性質だけを拠り所に一つの種族として、一つの種族として集まっている。
 クロニカと全く同じ存在は恐らくこの世に存在しない。ニールネイルに生まれた誰もがそうだった。

 そんなことをぼんやりと考えているクロニカは、ディドの言葉の真意を理解し得ない。
 彼の求めているものも。

「血を与えるということは、俺の命を与えるということ。……血を与え続けることが、巡り巡って俺の首を絞めないとは……限らねえ」

 ただその語気の強さに、気迫を否応無しに伝えられる。

「それ以外の方法があるのなら、すべて教えろ。それから選ぶ」

 決めるのは自分だと言わんばかりの声だった。
 雇用主。雇う側と雇われる側。
 主導権がどちらにあるのか、宣言するような、低く抑えられた、しかし朗々と通る。

 ディドがクロニカの退路を絶ちにかかっていることはひしひしと理解できた。
 ぴりぴりと肌が震える。触れずとも騒いでいる。

「……い、言いたくないとか、言うと、怒るか」
「言いたくないのは知っている。だが、それは関係ない」
「…………。俺も別に、いじわるで言いたくないとかじゃなくて」

 ――靄のかかる記憶の中、白い指先が頬を撫でる。
 思い出せなくとも、それが絶対であることを知っていた。

「言うのが、よくないと言われた。から、あまり」
「関係がない。言え、と言っている」

 しかし今目の前にいるのは雇用主の男だ。
 これもまた一つの絶対。自分を雇って、生きるための糧を与える男。
 一種の生殺与奪。

「……言わなかったら、ええと、あれか。雇用関係。……解消?」



 週に数度の血を除けば、本来の相場よりも格安で雇われている。ディドにとってクロニカが有用なのは恐らくその一点だろう。
 裏を返せば、血を与えることを厭うならクロニカを手放してもよかった。他を雇うなら少し払う金が増えるだろうが、それを良しとするかどうかはディドが判断することで、クロニカがどうこう言えることではなかった。

 不要とされて手放されることを今更恐れはしない。
 生まれた時から必要とされていた場所からも、言ってしまえば用済みだからと解放されたようなものなのだ。それすらクロニカは気に病んでいない。そうなってしまったのならば、仕方のないことだと割り切っている。
 問題は自分が生きることに関してだった。――ディド以外に血を求めることも、できなくはないだろう。金を得ることも、多分不可能ではない。
 しかしその両方をこなしながら生きていくとなると、どうにも途方のないことに感じられる。ただでさえ常に付いて回る飢えに気力が付いていかない。どちらかを、まあいいか、で手放してしまえば、恐らく行き着く先はまた同じだ。

 最初にディドに救われる前のように、行き倒れるのが関の山だ。
 今度はこの海で。あの歌の上手な鳥たちに、上空から、嘲笑うように見守られながら。

 他人事のように考えながら、しかしやはり、避けたいことには思えた。



「そう思うか?」
「……そうじゃないといいとは……」
「貴様が選べ」

 それを決めるのは雇用主であるディドの方だと思っていた。
 だから不意に突き付けられた――或いは、許された、示された。選択肢。まずは戸惑いの方が勝った。

 思わず面を上げる。その表情を目の当たりにして、思わず瞬きを繰り返した。
 ことばを紡ぐ口元が、笑っている。初めて見た、と思った。

「……えらぶ?」
「言わずに去るか。言って楽になるか。言わずに血を求めるか。言って去るか。――どれかが通ると思うなら、どれかを選べばいい」

 心なしか声も穏やかに響いた。
 圧の薄れた声音。縛りつけるような視線も、また同じように。許す、とでも言うような。
 クロニカの自由で、お前が決めることだ、とでも。

 粟立っていた肌が拘束を逃れて、しかしふわふわとして落ち着かない。
 示されているものが、往くべき道が、広すぎて自分では分からない。
 どうすればいいか教わっていない。
 それでも、

「……たぶん、もう一個ある」

 クロニカに分かることが、一つあった。

「言ってみろ」
「言って、去られる方」

 そういうものだと繰り返し、そう、繰り返し、語られたような気がする。
 忘れてしまうから。覚えていられないから。大事なことだから何度でもと。

 正しく生きる術を教わるまでは、秘めておかねばならぬことだと。
 利用されるか。気味悪く思われて、突き放されるか。或いは。或いは。

 他人との縁など、あってないようなものであるというのがクロニカの認識だった。
 加えてこの雇用主からはどこか潔癖の気配がする。彼の最も厭うものの一つである可能性をもクロニカは見出していた。
 伝えることに気が進まないのはそういう理由もあった。できればこの関係を維持し続けたい。生きるために。
 生きて、凌ぐために。

 それが保てなくても仕方のないことだとも同時に感じていた。



 ディドは沈黙していた。いつの間にか笑顔も消えて険しい表情をしている。
 恐ろしいとは、思わなかった。

「世の中では、おかしいから、黙っていろと言われていた。……から」

 だから、言えばそうなるかもしれない、と。

「……それは、俺が決めることだ」
「……何か、嫌なこと、言ったか?」

 険しい表情から、打って変わって不機嫌な声。押し殺すように言葉を紡ぐディドが、どこに気分を害したのかがクロニカには読み取れなかった。

「去るのか、去らないのか決めるのは俺だ。貴様じゃない。だから言えと言っている」

 決められるのが、気に食わないのだろうか。
 全ては自分が選び取ることだと。
 しかし雇用関係を解消するかどうかを決めるのはクロニカにあるとも先程ディドは言ったはずで、つまりは、どういう。

「…………お、俺が選ぶって話は」
「言うか言わないか、去るか去らないかは貴様が決めろ。俺のことは俺が決める」

 並べ立てられた言葉をどうにか噛み砕く。
 それぞれの自由意志、だろうか。この雇用主が尊重したがっているものは。
 クロニカにも求めているのだ。決めることを。選ぶことを。
 なかなか難しいことにも思えた。

 できれば、言いたくない。禁忌に近い意識。それほど繰り返し聞かされた。他にも何か言われた気がするが覚えていない中、それだけはどうにか覚えているのは、恐らく大事なことだからだ。

「……ディドは、なんで、知りたがる?」
「理由は言った。足らないからだ」

 足らない。何が。思わず考え込んでから、理由、だったろうかと掘り起こす。理由。動機。生きるため。では足りない。のだったか。
 生きるため。それ以上。クロニカの。



「……必要なのは、……ええと、人間とか」

 とりあえずと口を開いてから、表現の難しさに言葉が詰まる。人間、でなければならないということはない。生きているもの。巡りのある、次世代を残せる生き物。

「とりあえず、人間に近い方がいいんだけど、……とにかく、そういう生き物の、精気、みたいなものなんだけど」
「精気」

 鸚鵡返しに言われて頷く。
 意図的な摂取が必要になったときに、そう伝えられた覚えがある。それまでは自ずから満たされていたものでもある。

「そうなんだと言われた。……意識して摂ったことが、今までなかったけど」

『血を貰って生きなさい。物足りないだろうけど、それが今は一番いいし、安全』

「誰かに頼んでもらうのなら、血が、一番早いから、……だから、血がいい」

『……大丈夫、すぐに――』



 『足りる』だろうかとディドを窺い見る。
 ひどく機嫌を損ねた、ようには見えた。やはり説明としては不十分なのか。これくらいは言っていいだろう、の範囲内では足りないのか。
 まだ詰問が続くのだろうか。できれば避けたい、ぼんやり考えるクロニカに、

「……ひとの命を啜る生き物か」

 目を伏せたディドの、平坦な声。
 そういう血が強いらしいと付け加えるが、今度はいらえがない。沈黙が続く。気まずさが募って、でも、と思わず肩を落とす。

「血はまずいな。血で食べると疲れる。仕方ないけど」

 恨めしげに腹部を擦る。湧き上がった厄介な気持ちを、耳に届いた舌打ちが吹き飛ばす。

「……でも、多分、摂らないとまた動けなくなるから――」

 取り繕うにも下手な言い訳よりも、ディドが小刀を取り出す方が早かった。滑らかに裂かれた手首、溢れた血が器に落ちる。
 赤い瞳になお濃い赤を映して、クロニカが目を瞠る。満たされるもの。求めているもの。
 拍子抜けに与えられたものに、喉が鳴る。

 そちらばかりに気を取られたクロニカ、ディドが睨みつける。さっさと塞げと傷口を示した。
 我に返ってスキルストーンを拾い上げた。掌を翳す。淡い光が、血を流す傷を覆って塞ぐ。
 元通りだ。失われた血以外は、何もかも。

「……うん。やっぱり覚えてよかった」

 これで気兼ねなく、には少し遠いが、罪悪感だとか遠慮とかはかなり薄れる。解放された気持ちで器を手に取る。
 教わった食事前の作法はディドの郷里のそれとは違ったようで、傷の治りを確かめた彼には掌を振られた。もういい、という仕草だ。いつもと同じ。

「ありがとう、ディド」

 礼儀に告げて与えられた血を呷れば、あの生臭い鉄の味が口内を刺し鼻腔を擽る。
 それでも、それだけでも、その中の微かな精の気配を嗅ぎ付けて、この身体は歓びを得るのだ。