一日目

 国からの通達、残像領域調査の要請。自分宛てに書かれた手紙のその内容に、お兄さまは溜息を吐いた。

「お兄さま、仕方ないわよ。この間の手術で一命は取り留めたけどまだ危険な状態でしょう?」
「分かってる、理解はしてるんだ。……ただこうやって何かしら要請が出る度に断っていては、カークライト家は何をしてるんだとその内周りから冷たい眼を向けられそうでね。俺だけならまだいいが、父上や母上、メリスにまで迷惑をかけてしまうことを考えると……」
「そんなの私気にしないわ、お父さまとお母さまだってそうよ。お兄さまの身体が一番大事だもの」
「……ありがとう、メリス。お前は本当に優しい子だね」

 左手を手紙から離して、お兄さまが私の髪を撫でる。それは嬉しいけど、複雑な気持ちだ。だってこれは優しさなんかじゃなく、心底思ってるだけのことを口にしただけなのだから。それに自分の言葉程度ではお兄さまの表情を陰らせる憂いは消え去っていないのだし、結局意味はないんじゃないかって。

 私はお兄さまのことが好きだ。だからいつも笑顔で居てほしいし、ただでさえ大きな手術が終わったばかりで体調が悪いのに、ストレスで病状が悪化してしまうのなんて絶対嫌だし嫌だ。どうすれば安心してもらえるだろう。お兄さまが気にしてるのはこの要請をカークライト家が断ってしまった際の私たちへの影響で、ならそれをどうにかすればお兄さまは安心してくれる?
 どうにかすれば。どうにか。答えは簡潔だ。要請を断らなかったらいい。受け入れたらいい。でも父上も母上も忙しい身の上、こんな調査に赴くことは出来ない。となると残った選択肢は一つだけ。でもよく考えてみるとなんだなるほど、それってとっても簡単な道じゃない。

「お兄さま、いいこと思い付いたわ! これすっごく妙案!」

 未だ手紙を握ったままのお兄さまの右手を掴む。お兄さまは私の言葉に眼を白黒させていたけれど、そんなの気にしたことじゃない。

「安心してお兄さま。私がなんとかしてあげるから!」

 つまりはそう、私が行けばいいのだ。
 その“残像領域”とやらへ!


***



 と後先考えず意気込んで、父上と母上の反対も押しのけてこの戦地、“残像領域”に足を踏み入れて数分。

「むさ苦しい……」

 明らかに厳つすぎるムキムキだったり目つき悪かったりする傭兵の皆さんに囲まれて、私は既に心の底から沸き上がる後悔の念に苛まれていた。貴族に要請を出すくらいだから顔なじみも少しは居るんじゃ、なんて甘い考えはもう霧と一緒にそこら辺を漂った後見えなくなった。どうやらこの要請のメインの相手は賞金目当ての傭兵だったらしく、そりゃ知り合いも居ないってもんである。居心地が悪い。明らかに浮いてる。帰りたい。でもお兄さまの為に、こんな弱音を吐いて雰囲気に負けていたら駄目なのだけど。

「?」

 そこで不意に視線を感じて俯かせていた顔を上げれば、視界が映したのは見知った相手。男にしては長い黒髪、女の子みたいな顔、逞しいおじさんたちに囲まれ一層に貧相に見えるひょろひょろな身体。
 見間違うはずもない、あれは。

「――リー? リーじゃない!」

 湧き上がる嬉しさに耐え切れず駆け寄った。捨て去った甘い考えがふよふよと戻って私の胸を沸き立たせる。こんな所で知り合いに出会えるなんてラッキー、寂しさだって少しは紛れるってものだ。だからそう近づいて、挨拶して、『こんなところにも来てたのね、奇遇だわ、私も今回は要請を受けてきたのよ!』とか事情を説明しようと思ったのに。『だからこっちでも宜しくね! 知り合いに会えて良かった!』とか嬉しさを伝えようと思ったのに。


 思ったのに。


 初めてコックピット内の操縦席に腰を落ち着かせたメリスは、腹立たしさに頬を膨らませた。レーダーは三機ほど敵を捉えメリスに知らせてくれているのだが、そんなの彼女の頭に今入って来ない。入って来ない程彼女は怒っていた。何にって、この孤独の地で漸く会えた知り合いに、出会って早々言われた一言に、だ。

「……何よ、リーのバカバカアホアホもやしのもやし」

 ――帰れ、と。

 彼はただ一言彼女にそう告げた。勢いで此処に来てしまったことは確かではあるが、これから頑張ろうと意気込んでいたところ、胸が喜びで踊っていたところにそんな言葉を投げつけられてしまえば、短気でない彼女の機嫌は最高潮に悪くなるのも当然。

「ふーんだ、帰れって言われて帰る乙女が居るものですか、リーのばかちん! 今に見てなさいよ! 私の本当の実力を思い知らせてやるんだから!」

 そしてその一言が負けず嫌いな彼女の闘志に火を付けるのも、また当然のことで。

「――さあ、コンセント! じゃなくてなんだっけ……コンテンツ? コンセプト? まあいいわ、いくらでもかかってきなさい! このメリス・カークライトさまがぎったんぎったんにしてやるわ!」

 
 そうして戦場の似合わないお嬢様は、生まれて初めてその手に操縦桿を握ったのだった。