八日目
リー・ニコルズは苦虫を噛み潰したような表情でベッドに鎮座していた。
舞い上がる埃、どたばたと喧しく踏み鳴らされる足音。何もかもこのメリス・カークライトとかいう世間知らずのお嬢様が悪い。
リーは短くなった煙草を銜えたまま、内心深くため息をついた。
「ほらほら掃除しましょそーじ! こんな部屋で過ごしてたら身体にカビとか生えてきちゃうわよ!」
「これで十分生活できんだから……」
こっちの心境は知ったことでなく、少女はけたたましく声を張り上げる。人間が身体にカビを生やすわけがないだろう、などと今更突っ込むのも面倒くさかった。
力なく言い返そうと視線をやると、彼女の足元に在るものを認めて、あ、と。
「お前そこ、足元」
「足元? ――ひゃっ!?」
「あ、馬鹿、それ洗濯してるやつだから鼻水とかツバとかつけんなよ」
”それ”に足を突っ掛けて盛大にすっ転び積み上げられていた衣服に顔を突っ込んだメリスを言わんこっちゃない、と眺めながら彼女へ、正確には”それ”へと近づく。
ちゃんと畳めだとか引き出しにしまえだとか相変わらずきゃんきゃんとうるさいのを適当にいなして、リーは義足の入ったケースを持ち上げた。保護保護、と内心で呟く。壊されたらたまったものではない。
「なあにそれ、楽器? ギターとか?」
「それ本気で言ってんのか?」
自分が楽器をやるような人間に見えるのだろうか。そうだとしたらおめでたいだとか世間知らずだとか言う前に人を見る目がないと言わざるを得ないが、そもそもこんなところで自分と係わり合いになっている時点でこの娘には人を見る目がないことを思い出した。
そして自分も他人のことを言えないのだということもまた。僅かな頭痛を覚えつつ、義足を抱いてベッドへと戻る。ぼふん、勢いよくベッドに座ると衝撃で灰皿が傾き灰と吸殻を零した。
「義足だ、義足」
「……義足って、リーもうつけてるじゃない。二つあるの?」
「外の用と部屋の用。こっちは外用。高い方」
灰皿を片付け始めたメリスのことは最早好きにさせつつ、壊されちゃたまんねえからなと揶揄に笑う。
しかし何が気に入らないのやら少女は不満げな顔で、
「壊されて困るようなもの、地面に置くのはどうかと思うんだけど」
そう口を尖らせた。勝手にゴミ袋の中へ色々なものを放り込み始めるが、床に落ちているものの大半はゴミなので好きにさせることにした。
「高い方が性能っていいんでしょう? ずっと付けておけばいいのに」
「もったいねえだろ、消耗品なんだよこういうのは」
けらけらと笑う。――正確に言えば、消耗品なのは義足そのもの以上に、それを着けるリーの身体の方だ。
体格に合わない中古の義足。神経接続式の性能だけは高いそれは、必要以上にリーの身体に負担を強いると同時に、その感覚にもズレを生じさせていく。”繋がっている”はずなのに生じる幻肢痛に似た症状はただのそれよりも性質が悪い。
一度きちんと診て貰った方がいい、という忠告は聞き飽きており、ある視点ではそれが確かに正しいものであることをリーは知っていた。知っていたが、リーはその正しさには頷けなかった。
遅かれ早かれどうせ朽ち果てる。その認識は、恐らく間違っていない。
――今後無理したら怒るからね、私の目の黒い内は許さないんだから。
この前メリスが押しかけて来た時、リーの腕の中で言ったことだった。
よくまあ嘯くものだと呆れたものだ。お前の目は節穴のくせに。
その目は最初から黒くないではないか、と。
リーにとってはありがたいことで、だからわざわざ伝えることも、泣かせることもせずに済む。
黙っていればそれで済むのだ。それが何より面倒が少ない。
自ら面倒を背負い込んだ事実からは目を逸らしていた。
そう自分を納得させて欠伸を噛み殺しているうちに、勝手に掃除を続けていたメリスから、なにやら上擦った疑問の声。
「……リーは、裸の男の人と女の人がこう、絡み合ってるのを見るのが好きなの……?」
どうやら放り投げられていたリーのオカズを探り当ててしまったらしい。おやまあ生娘でもあるまいし、と内心呟いてから、いや流石に生娘かと思い直した。
それ自体はいいとしてとはいえやはり、カークライト家の教育はどうかしている。そう結論づけざるを得なかった。