「あれ、おかえりなさいませー主様……ってどーしたんですかその包帯!?」
夜中でしんと静まった遠河邸の雑舎に戻ったシャインくんを出迎えたのは、相変わらず騒々しいうさぎさんでして、ぴょんぴょんと、正真正銘うさぎの動きでこちらに寄ってくるかわいいうさぎさんに向かって、でもシャインくんの方はことさらに、これ以上ないってくらいに露骨に肩を落としてみせて。
「元から包帯してるでしょーが……それと主様って言うな」
「はい! シャインさん! でもその耳の包帯はなかったと思うっす!」
「あー……」
しまった。焼かれるなら手だけにしとけばよかったと、最早どうにもならないことに対して小さく舌打ちするシャインくんです。というか目敏すぎやしないか、一々細かいことを、とは言いますが、シャインくんの黒いうさみみは頭から生えてるわけで、しかもその先端のところに包帯が巻かれてあったならそりゃ気付くわなってもんです。だってめっちゃ目立つもん。耳、黒いし。包帯、白いし。
「それに服! なんか焦げてるっす! 絶対なんかあったっす! 怪我してるっす!」
「だーもううるさいですよ! 気にしなくていーんですこんなん、オレが怪我してくんのなんて珍しくないでしょーが!」
「で、でもー……」
心底鬱陶しげに声を荒らげたシャインくんでしたが、目の前のかわいいうさぎさんがしょんぼりと耳を垂らすのを見てどうにもこちらの耳も垂れてしまいます。結構、それなりに無意識の動きです。
だってシャインくんも別に鬼じゃありません、大切な大切な人が関わらないことで自分が人を悲しませていることに対してはなんとなく後ろめたさのようなものを感じてしまうのです。
これが大切な人絡みの結果だったら、まあ、知ったことか糧になれって感じかもしれませんが。それもどうなんでしょうね。
まあそんなこんなで、しょんぼりうさぎさんの言葉をちゃんと受け止めようかと考えなおしかけたシャインくんだったのですけれども。
「シャインさんー、耳は、怪我してきたの初めてっすー……そんな、アイデンティティを失うような危ないことしてきたのかって思うとってあー! どこ行くっすかー!」
「聞いてられっか」
心配してくれてるとか思って真面目に受け止めようとした自分が馬鹿だった、と、どっかどころじゃなくもうどこもかしこも冷めた目のシャインくんはさわがしうさぎさんに背を向けて歩き出しました。もーいいから寝よう、もう寝よう。っていうかいい加減結構遅い時刻なのになんで起きてるのこのうさぎ、そしてなんでこんな騒がしく元気なの。夜行性なの。だったかも。うさぎだし。
何はともあれこんな時間にぎゃあぴい騒いでいるのは迷惑なのです。既に眠りの浅い人などは目を覚ましてしまっている様子が窺えて、ちょっと冷や汗を流すシャインくんです。警護の武士さんなんかには絶対聞こえてるだろうしなあ、ってこともあって。
「もう! 聞いてるっすかー!」
「聞いてます聞いてます、だからちょっと黙ってください! もう夜も遅いんですから、迷惑ですって人も起きてきます!」
「……シャインさんの方がうるさいっすー」
「うるせえ」
いたちごっこというか、なんというか。痴話喧嘩とも違いますしね。何はともあれ、なかなかあまり品位のない感じの言い争いです。あとおつむも足りなさそうというか。
「まったく、オレのことはいーですからあんた寝なさいって。大体なにやってたんですかこんな時間に」
「……月」
「んあ?」
言われて窓から外を見上げたシャインくん。そこに浮かぶのは、半月より少しぷっくりと太い十日夜の月といったところでしょうか。雲もない中で、なかなかに美しい輝きを放っていました。
「月、見てたっす」
少ししんみりとした様子でうさぎさんはそう言って、そういえば今日月に帰れとか言われたなあとか思い出したシャインくんは、月に帰るのはこっちだよなあと改めて思いました。そもそもがなんか、お月見に遅れたとか良く分かんない理由だったかで月に帰る機会を逃したとかそんな感じだったような気がしないでもないですけどよく覚えてないシャインくんです。わりとどーでもよく聞き流してたっていうか、まあ、別に知らなくてもいいか、みたいな、結構ひどいんですけど、大切な人に対する以外のシャインくんなんてこんなもんです。女の子として意識してるわけでもありませんしねえ。
「あー……月ですか」
「はあ……いつ帰れるんすかねえ」
ほう、と息をついてうさぎさん、まじまじとぷかぷか浮かぶ月を見上げます。その目は望郷の念に満ちていてて、シャインくは望郷の念を抱いたことはないのだけれど何かを強く切望するその気持ちはよく分かるので、なんだか少しかわいそうになりかけましたけどなんかさっきそんな感じで裏切られたのを思い出すとやっぱりそんな感情を抱くのは間違いだな、と考え直しました。ぶった切るみたいにして言います。
「だから、早く帰りたいんだったらもっと確かなアテを探せっつーんですよ。こちとら月に行こうなんて考えてるヒマねーんですよ、それに周りだってそんなこと考えもしないような連中ですって」
「でもー……」
「でもでもだってじゃ帰れませんよ。あの島探せば普通に月行けるような連中がごろごろしてるはずなんです、そっち頼ったらもっと楽に帰れますよ」
「そんな保証どこにもないじゃないっすかー!」
声を荒らげたうさぎさんにしーっと人差し指を立てて、シャインくんはさらに追い打ちをかけます。
「オレと一緒にいたら絶対帰れないって保証ならあります。オレだってあんた相手にしてらんないんですよ、さっさと見切りつけて他行ってくれたほうが気楽ですよまったく。せいせいするってやつです」
「……主様」
「主様って言うな」
吐き捨てるように、結構容赦ない感じに。容赦ないって言うか、冷たいっていうか、無神経っていうか。
「んな懐かれても困るんですよ、鬱陶しい」
しん、と、静寂が訪れました。
その静寂にん? と首を傾げてしまったシャインくんですが、いやまあシャインくんにとっては全然静寂でもなんでもなく虫の音とか人の寝息とか鼠の駆ける音とか木の葉の擦れる音とかいろんな音が耳に入ってる現状なんですけど、でもそれでも隣のこのうさぎの騒音はケタ違いなわけで、それがなくなるとやっぱりちょっと静寂って思っちゃうわけですね。なんていうか、結構元気にぽんぽん返してくるうさぎさんが黙るってほとんどなくて、それがなんかすごく違和感というか、居心地が悪いというか。
うさぎさんを見ると、なんか顔俯けて表情見えなくてうさみみ垂れてて、そんでもって全然喋りませんで黙ってます。そんなことは初めてだったのでシャインくん、ちょっと焦って目を逸らして、ええと、と。
「……でも、まー別に今暇ですし、オレが鬱陶しがってるってだけで別にいいんですけど、でもやっぱりここにいたらあんたのためにならないっていうか、やっぱり帰れないですよ?」
「………」
「それはあんまり賢い選択じゃないっていうかあんたのためにもなんないっていうか、まあ別にあんたがいーんならここにいたっていーんですけど……」
「……いいっすか?」
つらつらと口上を並べ立てていたシャインくんは、隣から聞こえてきた弾む声に少し、というか結構わりと安堵して、それでうさぎさん見返して、んでもって目に飛び込んできたもののせいで気持ちは安堵の向こう側に行きました。
うわあめっちゃ目、輝いてるんですけど。
「いいっすか? いいんすね!?」
「……いやまあいいって言いましたけどうざったいとも言いましたよね!?」
「でもいいっていったっす! 主様言ったっす!」
「主様じゃねえ!」
「シャインさん言ったっすー!」
「うるせえー! 鬱陶しいって言ったじゃないですかー! っつーか騒ぐな今夜だってさっきも!」
「そっちの方がよっぽどうっさいっすー! 黙るのはそっちっすー!」
「はあ!?」
なんかすごく低次元な争いを再開してしまった彼らですけど、なんかわりとどっちもどっちっていうか、とりあえず静かにしようね。みたいな。うん、もうどうしようもないですね。
まあとりあえず、結構楽しそうで何よりなんじゃないでしょうか。